過去と現在

学生時代ドベだった私がなんでも知っている人と呼ばれるようになった理由をお話

過去と現在

学生時代

私は学生時代、勉強をすることに意味を感じることができず、赤点さえ取らなければいいかと思い、最小限の勉強しかしていませんでした。
進学校ということもあり、周りの友達との差はどんどん離れていきました。

現在の私

そんな私でしたが、今では友達からも知り合った方からも、「物知りで頼れる人」と言ってもらえるようになりました。
信頼も得ることができ、独立することができました。

大きく変わった分岐点

周りとの差

周りの友達が会社員になり、完全週休二日制で祝日は休み・ボーナスもあり福利厚生を得られるようになっていました。

そんな周りとは違い、私は実家の家業を継ぐために田舎に戻り、肉体労働20連勤・年間で2日間連続で休めた日2回・ボーナス1万円といった上げ始めたら終わりがないような状況でした。

同窓会で友達と会うと、懐の豊かさも気持ちの余裕さも全てで負けていると感じてしまいました。
でもなにより気になったのが、このまま続けて継ぐとまずいという思いでいっぱいになっていました。

決意

家業を継ぐことを辞め、社会で揉まれながらも会社員がもらえるものを得ようと思いました。
結果、親父からは縁を切られ、スーツケース一つで上京することに。
上京する道中に格安シェアハウスで住む段取りを決め、就活するためにエントリーしながらの上京となりました。

プラン

東京で戦うと決意してプランを考えました。
・最悪プランはお金がなくなり野宿食いつなぐ。
・バイトに付き日々時間ばかりがすぎる。
・なんとか就職できたが、ブラック企業で疲弊する。
・就職できしたい仕事をすることができる
・ホワイト企業に入りとミドルクラスな生活をする。
・奇跡的ななにかが起こり、一気にハイクラスの仲間入り。
どのプランでも大きな後悔だけはしないように動けばいいと思って行動しました。

実際に辿ったプラン

「就職でき、したい仕事をすることができる」でした。
Webデザイナーとして働きたかった私は、徹底的にその仕事ができる企業へのエントリーを行い受かりました。

大きな分岐点

その企業では、怠惰な1年間を過ごしているように見えたと思いますが、2年目にはコロナが出てきて、リモート生活が開始しました。
その環境では仕事をしながらなにかを見ることができる環境になり、Youtubeで「中田敦彦のYoutube大学」と出会いました。
それからは、聞き流しながら仕事をしていると、どんどん目標達成することができ多くを学ぶことができました。

共同経営で起業

そんな中、ある女性と出会いWebデザイナーとしてPCの使い方の相談を受けていました。
そして意気投合し、女性がアパレルで起業することを知り一緒に経営することになりました。※恋愛感情ではありません。
会社員をしながら経営や事業立ち上げをすることになり、さらに多くを学び続けました。

会社から離れる決断

跡継ぎとして育った私の経営感と実家で働いたストイックな2年間があったため、どうしても話しが噛み合わず起業した会社から離れることになりました。
ですが、この1年間で学んだことや学ぶ楽しさを知りことで、今までの視点とは違う視点で見ることができるようになりました。

そしてなんでも知っている人へ

「中田敦彦のYoutube大学」で得た知識と自分の会社を立ち上げのために得た知識で、物事をだいたいの予想で話せるようになっていました。

実は予想で話している

知らないことでも、作った人の考えやなぜ?を解決しながら話せるようになり、本当は知らないことでも知っているかのように話せてしまうようになりました。

結論

知識を得ることで、なぜ?という疑問を解決する方法を予想して話すことができるようになりました。
もちろん、あくまでも予想なのでできる限り、正しくなるように努めます。